最高裁判所第二小法廷 平成3年(オ)1311号 判決 1994年7月18日
上告人
大嶋義男
同
大嶋とし子
被上告人
當麻和以
同
大東京火災海上保険株式会社
右代表者代表取締役
小坂伊左夫
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人らの負担とする。
理由
上告人らの上告理由第三点について
一 原審の適法に確定した事実関係及び記録によって明らかな本件訴訟の経緯は、次のとおりである。
1 上告人大嶋義男は、昭和五五年五月一三日午前五時五分ころ横断歩道上を自転車に乗って横断中、被上告人當麻和以の運転する普通乗用自動車に衝突され、頭蓋骨骨折等の傷害を受け(以下、この交通事故を「本件事故」という。)、そのため自動車損害賠償保障法施行令二条別表等級第一級に当たる後遺障害があると主張して、被上告人當麻に対しては、自動車損害賠償法三条又は民法七〇九条に基づく損害の賠償を求め、被上告人當麻との間で任意の自動車保険契約を締結している被上告人大東京火災海上保険株式会社に対しては、いわゆる直接請求権の行使として保険金の支払を求めて、昭和五七年四月三〇日に本件訴えを提起した。上告人義男の妻である上告人大嶋とし子は、本件事故により上告人義男が死亡したのと同視し得る程度の精神的苦痛を被ったと主張して、上告人義男と同様の理由で、被上告人らを相手に上告人義男とともに本件訴えを提起した。
2 第一審裁判所は、昭和五九年七月二四日、(1) 被上告人當麻は、上告人義男に対して損害賠償金二七三五万八五六六円を、上告人とし子に対して損害賠償金二二〇万円を支払い、併せて右各金員に対する本件事故日である昭和五五年五月一三日から各完済まで年五分の割合により遅延損害金を支払え、(2) 被上告人大東京火災は、本件事故に起因する保険金の総支払額が保険金額である八〇〇〇万円に満つるまで、上告人義男及び同とし子の被上告人當麻に対する判決が確定したときは、上告人義男に対して二七三五万八五六六円を、上告人とし子に対して二二〇万円を支払い、併せて右各金員に対する昭和五七年五月一六日から各完済まで年五分の割合による金員を支払え、という判決を言い渡した。上告人らは、第一審判決の認容額を不満として控訴した上、各請求を拡張した。
3 被上告人大東京火災は、原審における昭和六一年一二月五日、同六二年二月二七日及び同年三月二七日の各準備手続期日において、上告人らに対し、第一審判決が右2の(2)のとおり右被上告人に支払を命じた金員全額をいつでも支払う準備がある旨申し出て口頭の提供をした(以下、この弁済の提供を「本件提供」という。)ところ、上告人らは、その受領を拒絶した。そこで、右被上告人は、同月三〇日、上告人義男につき二七三五万八五六六円とこれに対する昭和五七年五月一六日から供託の日である同六二年三月三〇日までの年五分の割合による金員の合計三四〇二万五八一〇円を、上告人とし子につき二二〇万円とこれに対する右と同じ期間の年五分の割合による金員の合計二七三万六一三七円を、浦和地方法務局に弁済のため供託した(以下、この弁済供託を「本件供託」という。)。そして、被上告人らは、附帯控訴した上、本件供託によりその分の債務が消滅した旨の抗弁を主張した。
4 原審は、本件事故により上告人義男が被った損害の額は五二二五万九八〇三円であり、上告人とし子が被った損害の額は二二〇万円であると認定した。
二 右一の事実関係からすると、被上告人大東京火災のした本件提供及び供託のうち、上告人とし子分は、右被上告人の債務の全額についてのものであるから、有効なものというべきである。これと同旨の原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は採用することができない。
次に、上告人義男分についてみると、右被上告人の債務の一部についてのものであることになるから、その有効性について検討を要する。
交通事故の加害者が被害者から損害の賠償を求める訴訟を提起された場合において、加害者は右事故についての事実関係に基づいて損害額を算定した判決が確定して初めて自己の負担する客観的な債務の全額を知るものであるから、加害者が第一審判決によって支払を命じられた損害賠償金の全額を提供し、供託してもなお、右提供に係る部分について遅滞の責めを免れることができず、右供託に係る部分について債務を免れることができないと解するのは、加害者に対し難きを強いることになる。他方、被害者は、右提供に係る金員を自己の請求する損害賠償債権の一部の弁済として受領し、右供託に係る金員を同様に一部の弁済として受領する旨留保して還付を受けることができ、そうすることによって何ら不利益を受けるものではない。以上の点を考慮すると、右提供及び供託を有効とすることは債権債務関係に立つ当事者間の公平にかなうものというべきである。したがって、交通事故によって被った損害の賠償を求める訴訟の控訴審係属中に、加害者が被害者に対し、第一審判決によって支払を命じられた損害賠償金の全額を任意に弁済のため提供した場合には、その提供額が損害賠償債務の全額に満たないことが控訴審における審理判断の結果判明したときであっても、原則として、その弁済の提供はその範囲において有効なものであり、被害者においてその受領を拒絶したことを理由にされた弁済のための供託もまた有効なものと解するのが相当である。この理は、加害者との間で加害車両を被保険自動車として任意の自動車保険契約を締結している保険会社が被害者からいわゆる直接請求権に基づき保険金の支払を求める訴訟を提起された場合に、保険会社が被害者に対してする弁済の提供及び供託についても、異なるところはない。
そうすると、前記一の事実関係の下において、被上告人大東京火災のした本件提供及び供託のうち上告人義男分についても、その額の範囲において有効なものとした原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は採用することができない。
上告人らの上告理由第一点の九について
所論は、自己に不利益の及ばない事項についての違法を主張するものにすぎず、採用することができない。
その余の上告理由について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らして是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に基づき若しくは原判決を正解しないでこれを論難するものにすぎず、採用することができない。
よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官中島敏次郎 裁判官木崎良平 裁判官大西勝也 裁判官根岸重治)
上告人大嶋義男、大嶋とし子の上告理由について
第一点、第二点<省略>
第三点 原判決には債務の提供・供託につき、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の違背がある。
(一) 原判決は、被上告人大東京火災海上保険株式会社(以下「被上告人会社」という。)が上告人義男及び上告人大嶋とし子に対して昭和六二年三月三〇日になした供託について、「当審において認定した控訴人らの損害は前記二のとおりであるから、控訴人義男に関する分についていえば、被控訴人会社が原審判決に基づいてした提供供託は、債務の一部の提供供託にしかならない。しかし、不法行為による損害賠償債権(及びこれを前提とする保険会社に対する直接請求権)は、貸金債権のように一義的に明確な名義額のあるものと異なり、裁判所が確定した事実に基づき損害の大きさを計量し、金銭に評価する操作を施すことによって債権額が裁定されるという特色を有するものであり、債務者としては判決の確定する前に客観的に相当な債務額を知る事が出来ない。このような場合に、債務者の提供した金額がのちに判決で確定された賠償すべき額に足りないとの一事により、常に債務の本旨に従った提供にならないと解したのでは、債務者に難きを強いる結果となる。本件においては被控訴人会社は、原審判決が証拠調べの結果に基づき控訴人義男の損害として算定し被控訴人会社に支払を命じた金額を、判決確定をまたないで進んで提供したのであって、債務者のとった措置として十分な合理性があり、信義則上欠けるところはないといってよい。損害賠償債権の前記のような特殊性に鑑みると被控訴人会社のした提供は、結果的に債務の一部の提供であっても適法であり、これに基づく供託も供託額の限度で債務消滅の効果をもたらす適法な供託であると解するのが相当である。」と判示して、その有効性を承認している。
(二) しかし、第一審判決主文第四項は、「被告大東京火災海上保険株式会社は、後記(一)、(二)、(三)により算定した金員の合計額が金八〇〇〇万円に満つるまで、(一)原告大嶋義男及び原告大嶋とし子の被告當麻和以に対する本判決が確定したときは、原告大嶋義男に対し、金二七三五万八五六六円、原告大嶋とし子に対し金二二〇万円及び右金員に対する昭和五七年五月一六日から各支払済に至るまで年五分の割合による金員を、それぞれ支払え」(注=右主文の中(二)は原告基金、(三)は原告都への賠償を命じたものであるので省略した。)とし、その判決理由第四項は、「四 請求原因3(二)(保険契約)について、被告當麻と被告会社との間に、本件任意保険契約が締結されていたことは当時者間に争いがない。そして前掲乙第一一号証によれば、被告當麻は、本件事故当時その月収金一六万円ないし金一七万円であって本件任意保険契約による保険金支払請求権のほか、他に見るべき資産を有しないことが認められ、右認定に反する証拠はなく、弁論の全趣旨によれば、本件任意保険契約が自動車保険普通保険約款に基づいて締結されたものであり、右約款上保険者たる被告会社は、被保険者たる加害者と交通事故による損害賠償請求権者との間の損害賠償額が本判決の確定によって定まった時に、保険金額の限度において、右の損害賠償額に相当する金員の支払を右の損害賠償請求権者に対してすることとされていることが認められ、右認定を左右すべき証拠はない。したがって、被告会社は、本件任意保険契約に基づき、保険金額金八〇〇〇万円の限度において、原告基金が後記のとおり代位取得し、及び原告都が原告義男からの債権譲渡によって取得したいずれも原告義男の被告當麻に対する損害賠償請求権の行使による被告会社に対する本訴請求に対し、並びにその余の原告らの被告会社に対するいわゆる直接請求権の行使によってする本訴請求に対して、後記認定のところにより各支払をする義務がある。」としているものである。
(三) 上告人らが被上告人会社の第一審認容額の提供を拒否したのは右の第一審判決主文及び判決理由によるものである。
(四) すなわち、被上告人会社の上告人らに対する原審での口頭の提供は、第一審判決を前提として、その第一審判決の認容額で上告人らと話し合いをしようとしたものであろうが、上告人らが第一審判決を不服とし、その賠償請求額を増額して原審に審理を求めている段階では、右の判決によりそれを受領し得る権利がないわけであるから受け取れるはずはなく、又このような事情のもとでは被上告人会社の提供自体が無効であるといわざるを得ないものである。
(五) 更に右第一審判決主文は、その理由によれば、被上告人会社と被上告人當麻との間で結ばれている自動車保険普通保険約款により、被上告人会社の支払義務は、本訴判決が確定したときに発生するとの規定によるものとされている。
すなわち、本件では、第一審判決を前提とすれば、判決が確定したときにその支払い義務が発生するものであるから、原審の審理段階では、このような被上告人会社の支払い義務は発生し得ないことになり、従って履行の提供も本来なし得るものではなく当然に無効とならざるを得ないものである。
(六) 以上により被上告人会社の履行の提供は無効となるものであるから、これを前提とする供託もまた無効となるものである。
(七) 従って、上告人らに対し、被上告人会社が自らの保険約款に反し、第一審判決の主文を無視してなした第一審認容額の提供とこれを前提とする供託について、これを共に有効とする原判決は明らかに違法な判断に基づくといわざるを得ないものである。
(八) 以上をもって被上告人会社の上告人らに対する提供・供託は無効となし得ると思われるものであるが、更に原審の判示について申せば、原判決は、確定した金額(例えば、借入金)の提供・供託と不法行為に基づく損害賠償請求権にかかる損害賠償額のそれとを恰も区別できるものとして前・後者を区別して考えられるとするようであるが、このような考えを是とすれば、債務不履行に基づく損害賠償請求権についても同じように理解することとなると思われる。更に、これを推し進めれば、貸付金の金額自体に争いがある場合にも当然この理を使うことができるようになろう。
(九) また、本件のような事案で、債務者が判決の確定するまで相当な債務額を知ることのできない場合においては、たとえ一部の提供であっても(例えば本件では第一審判決の認容した上告人義男の損害額と原審が認容した同人の損害とが、ほぼ倍額に近いような場合であってさえも)、債務者のとった措置として十分な合理性があり、信義則上欠けることろはなく、従ってその提供もそれに基づく供託も共に適法・有効としてやらないことには、債務者に難きを強いることになるとしている。
しかし、このような考え方からすれば、このような事案の場合あるいは前記(八)に述べた例題のごとき場合更には債務を負うすべての者が、債権者から請求の訴が起された時点で、任意の額の提供を試み、拒まれれば、それを供託しておいて争えるということを認めないわけにはいかなくなるであろうから、もしそうであるなら、それはむしろ、債権者に難きを強いることになるのではなかろうか。
(一〇) ここで前記(八)、(九)を考え合せて民法を見るならば、その四九三条は「弁済ノ提供ハ債務ノ本旨ニ従ヒ現実ニ之ヲ為スコトヲ要ス」とあり、又平凡社刊行の世界大百科事典の供託の項によれば、「供託は債務の本旨に従って行なわれなければならない故に当然に無効とされる一部弁済による供託〔判例〕」と記入されており、この判例は常識上妥当と思われることから今も生きているものと考えられ、従って原判決がこれらに反して、本来確定していない債務について、その「適法な提供と、これに基づく有効な供託」の存在することを認めたことは、以上述べてきたどの点からしても不当であり、到底容認し得るものではないのである。
第四点 原判決には、次の二項につき、判決に影響を及ぼすことが明らかな重要事項について、判断を遺脱した違法があり、また法令の違背がある。
一 原判決が、被上告人當麻及び被上告人会社の全額についての連帯責任を認めなかったことについて
(一) 上告人らは、原審において被上告人らに対し連帯して損害の全額について、賠償するよう求めていたものであるが、原判決は被上告人会社の保険契約上の責任範囲が保険金額である金八〇〇〇万円(遅延損害金を除く)であるとし、それを超える部分については被上告人當麻の責任としている。
(二) しかし、本件交通事故においては、上告人らの被上告人當麻に対する損害賠償請求権を代位債権とし、被上告人當麻の被上告人会社に対する保険金請求権を行使するものであるところ、被上告人会社は自動車保険普通保険約款上、本来保険契約者である被上告人當麻の利益のために、十分なる注意をもってする義務があり、その義務のもと行動すべきであるのに、被上告人会社は、その義務に反して即ち自社の利益を図るために、上告人らと全面的に争い、結果的に被上告人當麻の不利益となる行動を取ったのであって、これは被上告人会社の被上告人當麻に対する保険契約上の債務をその本旨に従って履行しなかったこととなるものであるから被上告人会社は自ら債務不履行の責任を負わなければならなくなるものである。
(三) すなわち、第一審における上告人ら及び基金並びに都の四者(いずれも原告)の損害賠償請求の総計額は、提訴時から第一〇回口頭弁論期日の前日までは、右保険金額の金八〇〇〇万円を超えていなかったものであり、従って、この期間内において、被上告人会社が全面的な争いをせず解決をしていれば、被上告人當麻がこれ以上の責任を負担することはなくてすんだはずであり、そうだとすれば、被上告人當麻は被上告人会社に対し、被上告人会社の保険契約上の債務不履行に基づき、被上告人當麻の被った損害(被上告人當麻が上告人らに賠償するべき金八〇〇〇万円を超える部分の金額)の賠償を請求し得るものである。
(四) 従って上告人らは右(三)の被上告人當麻の被上告人会社に対する権利を代位行使するものであり、この被上告人らの責任も不真正連帯債務として、被上告人らが上告人らに対して負担しなければならないものである。
(五) 従って、原判決は、上告人らの前記(一)の主張に対しては、本件審理の経緯及び民法四一五条(債務不履行)、同四二三条(債権者代位権)に基づいて判断すべきものであるところ、これを遺脱した違法があるものである。
二 被上告人会社の遅延損害金の起算日について
(一) 上告人らは、被上告人会社の遅延損害金の起算日を本件交通事故発生日とすべき旨主張していたものであるが、原判決は、「被害者の保険会社に対する直接請求権は不法行為による損害賠償請求権そのものではないので、期限の定めのない債務として、履行の請求により遅滞に付せられるものと解すべきである。」と判示して、上告人らの訴状が被上告人会社に送達された日の翌日から起算されるとしている。
(二) しかし、本件においては、加害者は資力を有しないものであって、従前の直接請求権の行使が認められる債権者代位権に基づいての請求としても請求できるものであって、この場合、被害者の加害者に対する損害賠償債権を代位債権として、当然に加害者の保険会社に対する保険金請求権を代位行使し得るものであって、このような時は、保険会社も加害者と同一の責を負うものと考えられる。
(三) すなわち、責任保険は、賠償の責任を負うような事態に備えて、自らの債務を保険会社と契約を結んで填補してもらうことを目的とするものであるから、このような責任保険の基本的な仕組みからすれば、保険会社は、加害者(保険契約者)と同一の責を負うべきものである。
(四) 原判決は、本件の請求を直接請求とのみ思い込みそう断じて、右のような点について上告人らに釈明をさせなかったものであり、本件のような本人訴訟ともいえるような場合には、特にこれを行使するべきであったのに、これを行使しなかった違法がある(民訴法一二七条、一二八条)。
(五) なお被上告人當麻は事故発生後間もなく、被上告人会社の代理店である「富士自動車販売」に対し、事故発生の事実を告知しているものである(乙第一二号証=富士自動車販売を経営している高林博美の、事故日である昭和五五年五月一三日における浦和西警察の供述調書、甲A第七号証の一=被上告人会社の自動車保険申込書の扱者名が富士自動車販売となっているもの。)。
(六) 従って、被上告人会社の遅延損害金の支払い義務は、本件事故日から起算されるべきであり、これに反する原判決は違法となるものである。
第五点 訴訟費用について
上告人らの上告が認容される場合には、訴訟費用についても被上告人らの負担とされるべきである。(なお、原判決主文第三項の訴訟費用に関する原判決の違法については前記第一点八に述べてあるとおりである。)
以上いずれの点よりするも原判決は違法であり破棄されるべきものである。